新宿という街は私にとって特別な存在です。日本各地の歓楽街を巡っていると、ふと新宿へ帰りたいという感情が芽生えます。それは特定の酒場や横丁を想うのではなく、街そのものが故郷に思えます。紀伊國屋書店のエスカレーターも、花園神社の脇道も、もちろん数多くの飲み屋も。
新宿三丁目の「どん底」は、そんな新宿の街を煮詰めててできたような存在です。
様々な表情を持つ新宿のなかでも、少し大人っぽさがある新宿三丁目。演芸場の新宿末広亭の存在が街に文化の要素を加えています。1946年(昭和21年)に建てられた木造建築で、この一画の象徴です。
末広亭から5年後の1951年に、そこから100mほどの路地裏に「どん底」はできました。その独特な店名は、当時舞台俳優だった創業者の矢野智氏が出演していた舞台の名が「どん底」が由来。
洋酒が飲めるロシヤ風居酒屋として広まり、数多の文化人に愛されてきました。花園神社が芸能の神様ということも関連深そうです。
まだピザが一般的ではない時代にいち早くメニューに入れ、その後の名物となります。
入るとすぐに数段の階段があり、目の前にはカウンター。慣れた感じのお客さんがカウンターに立つ店長の宮下さんと世間話を楽しんでいます。
洋酒飲み屋として始まった経緯もあり雰囲気はバーに近いですが、氷が入るたらいなどに懐かしさがあります。
生ビール(600円)はサントリーザ・プレミアムモルツ。瓶ビール(700円)では老舗に似合う赤い星がやってきます。手際ゆくトントンと揃い、トトトと注いで、では乾杯。
お通しはきまってこのバケット。生ハムとクリームチーズを載せたもの。ブルスケッタなんて下を噛みそうな単語は使いません。チャージは300円です。
バーなのかバルなのか、そもそもはロシヤ料理だけれども、括るのは難しく、どん底はどん底。いまでこそ、どん底は新宿のレガシーと呼べる存在ですが、昭和の中頃では先駆的な酒場だったと昔を知る人は話します。
料理はほとんどが千円以下。ピロシキにオムレツにハーブ鶏ハムにと西洋でくるかと思えば、金目鯛の一夜干しやエイヒレまであります。実はどん底、スペインに支店をだしていて、そこから運ばれたイベリコ豚の生ハムなんてものがあり、これがこの後飲むオリジナルカクテルにベストマッチ。
どん底でピザを知ったという人も多いようで、私の母も好物だったとか。どん底にピザが加わったのはイタリアンのシェフが昭和30年頃に持ち込んだと聞いたことがあります。
生地から手作りするミックスピザ(1,300円)。いまの時代のピザとは異なり具材はほとんど見当たらず一面チーズの分厚い層で覆われ、持ち上げるとずっしり垂れていきます。
牛タンとアスパラのソテー(1,500円)がお気に入りという傘寿を迎えた元商社マン。どん底は新宿の定位置で、これを食べるから長生きなのだそう。新宿の古い酒場に集う人たちはみな歳を感じさせないパワーがあります。
どん底といえば、ドンカク。作家・金子光晴氏は
ドンカクをなみなみ注いで
コップをまえにおくと
ふしょうぶしょうに
この世界はうごきだす。
という歌を残しています。
戦後まもなくでまだサワーがなかった時代につくられた、どん底の”焼酎ハイボール”である「ドンカク」。甲類焼酎にレモン汁など秘密のレシピで配合された謎の液。ボトルで購入すると少し安い。
ドンカクは2杯飲めばそうとうなもので、「この世界はうごきだす。」
どん底を愛する馴染みの皆さんは人懐こい方ばかり。昔から女性の一人客も入りやすいお店として知られ、初めて会ったのに長い友人のような距離になって、最後はみんなで笑っていい気分。
グループでの利用もあるものの、煮詰めた新宿はカウンターに存在します。
享楽に満ちてどん底は68年。今日も笑いでいっぱいです。いつも新鮮で、そしていつもそこにある安心感。そろそろ、久しぶりにどん底で飲みたくなりませんか。
ごちそうさま。
(取材・文・撮影/塩見 なゆ)
店名 | どん底 |
住所 | 東京都新宿区新宿3-10-2 |
営業時間 | 営業時間 【月~金】 17:00~23:30(L.O.) 【土・日】 11:30~23:30(L.O.) 日曜営業 定休日 なし (但し、12月31日~1月4日は休み) |
開業時期 | 1951年 |