尼崎はその昔、工都と呼ばれるほどの工業都市でした。阪神工業地帯の中核を担う存在であり、現在でも新日鐵住金や旭硝子、三菱電機などの工場が稼働中です。
工業都市には、きまって従業員向けの酒場が多い。とくに交代制の職場がある街には朝・昼から飲める店があり、高度経済成長時代の名残をいまに伝えているものです。日本を強くした人々を支える店は新店では真似の出来ない年輪の厚みがあり、たいへん味わい深いものです。
JR尼崎駅より1キロほど沿岸寄りに位置する阪神電車尼崎駅は、工業地帯への玄関口。公害が問題になっていたのは昔の話、駅の周辺は工都と言われた頃を感じさせないマンション群が立ち並びます。大阪、神戸までいずれも20分ほどの場所でもあり、絶好のベッドタウンです。
今回ご紹介する尼崎の店は、働く人の満腹処「八栄」です。創業から70年ほどの店で、昔は多くの労働者で賑わったそうな。店構えの渋さと、漂う焼きそばソースの焦げる香りに思わず吸い込まれてしまいます。
店は横に広く、長いL字カウンターが配されています。回すと”ギィー”と鳴る丸椅子に座布団に腰掛けて、隣の常連さんに軽く会釈。食事処とありますが、粉もんが専門。焼きそば、焼きうどん、とんぺい焼にたこ焼き、明石焼きといった顔ぶれです。
尼崎にはその昔、キリンビールの工場がありました。主な生産品はキリンラガー。尼崎工場の歴史は深く、1918年(大正7年)神崎工場の名で操業開始。当時は横浜・山手にしか工場がなかったキリンビールは、初めての神奈川県外の生産施設となり、尼崎工場操業の5年後に発生した関東大震災で山手工場が壊滅的被害を受けた際にも、ここ尼崎工場がキリンの醸造を支えました。
1996年に操業を停止した今も、尼崎市民はJR尼崎駅のホーム上にまで匂っていた麦汁の香りを忘れずキリンを愛飲する人が多い。今日もおつかれ、キリンで乾杯。
鉄板ものを注文し、出来上がるまでの間に軽くおでんをつまみにビールを飲み進めます。
焼きそば定食とありますが、焼きそばをおかずにご飯を食べるというもの。これぞ、関西。粉もんソースはおかずです。
大将は昔話を淡々と話されながらも、手元は素早い小手さばきでチャッチャと金属音を刻む。漂う焦げたソースの香りは、ただそれだけでビールが美味しい。
品書きは焼きそばではなく”そば焼”。キャベツと豚細切れが入って、甘辛く香ばしいソースと油をまとった飴色のそば。中麺で茹で置きされたもので、よいあんばいで乾きねっとりとし、それにソースが絶妙に絡み合っています。
飴色のつまみには、飴色のビール、名コンビ。
関西のキリンビールを支え続けてきた尼崎工場。現在は三田(さんだ)に近い神戸工場に引き継がれ、変わらずガツンと苦いキリン味を醸造しています。年輪がある酒場には、年輪があるビールが似合う。
焼きそばには、瓶ビールが馬が合う。
共に飴色だから色合いは地味だけど、ひたすらに日本の食卓に並び続けてきたもだからこそ、語りかけてくる美味しさがあります。
焼きそばでビール、今宵いかがでしょう。ごちそうさま。
(取材・文・撮影/塩見 なゆ)
八栄
06-6411-8910
兵庫県尼崎市神田南通1-24
17:00~23:00(昼営業12:00~1500・火定休)
予算1,800円