外国人観光客が急増した山梨県南部、郡内地方。河口湖をはじめとした富士五湖越しの富士山の眺めは外国人だけでなく、日本人もうっとりする美しさです。
1900年もの歴史がある北口本宮富士浅間(せんげん)神社を中心に富士山信仰の地として栄えた地。現在も山梨県側の富士山の玄関口として観光客が多く訪れる富士吉田は、史跡や自然だけでなく、町並みにも独特な魅力が感じられます。
この町で老舗の大衆酒場といえば「新田川」。1940年代創業で、70年以上も続いています。富士吉田といえば「吉田うどん」が名物ですが、ぜひお酒好きの方には「新田川」で看板料理の馬肉を頬張ってほしいです。
富士急行線の「富士山駅」が富士吉田市の交通の要衝。新宿からJR中央本線を経由し直通運転されている特急富士回遊号や、東京・渋谷などから発着する高速バスが富士山駅に集まります。ですが、飲み屋街は駅の周辺ではなく、そこから10分ほど歩いた「西裏」というエリアにあります。
かつて繊維産業が盛んだった頃に栄えた昭和の歓楽街で、その後、産業構造の変化により町は衰退。古い飲食店街は昭和の忘れ形見のように時間を止めてしまっていました。そんな西裏が息を吹き返したのが昨今のインバウンド効果。ゲストハウスがいくつもオープンし、西裏は外国人のナイトタイムエコノミーで賑わいを取り戻しつつあります。
新田川も外国人向けの西裏飲み歩きマップで紹介されるなど、町の活性化に取り組む1軒。店先の品書きには英語表記もあります。トタン張りと銀サッシの店構えに初めての人は腰が引けそうですが、そんな背景を知っていると訪ねやすいはずです。西裏最古の酒場へ、いざ。
二代目ご主人と奥様で切り盛りされる新田川。畳敷きの小上がりと小さなL字カウンターだけのコンパクトなお店。カウンターに半月状に割り込んだ大鍋には、名物の馬モツ煮込みが甘い香りを静かに漂わせています。
山梨で煮込みといえば甲府の鶏もつ煮が全国的にも知られるようになってきましたが、富士吉田は馬肉を使うお店が多いです。自動車登場以前の物流の中心にあった馬は、富士山7合目まで物資を運んでいたため多くの馬が富士吉田で活躍した名残でしょうか。
そう店主の入倉さんに話したところ、答えは違いました。昭和17年頃に先代(ご主人のお父さん)が東京・深川で牛モツ煮込みを食べたのがきっかけだったとのこと。当初は牛モツを出していましたが、10年ほどして馬肉・馬モツに肉屋の勧めもあって切り替えたそうです。
この馬もつ煮込みが富士吉田の人々で大いに評判となり、小さな店内は連日満員の賑わいに。持ち帰りで買っていく人も多く、その味は次第に富士吉田に馬モツ料理が広まっていきました。
うま煮込み串(1本80円)。最初に5本程度おまかせで取り分けてもらいます。
部位は10種類で、フワや胃、腸など、馬もつを一通り味わうことができます。タレは東京の一般的な煮込みよりも遥かに甘いというのが第一印象。味噌ベースではあるもののあっさりとしていて、何本でも食べられるようなあとひく旨味。
ビールは昔からサッポロ。何十年も現役の樽冷式ディスペンサーが現役です。まだサッポロの社章が赤い星だった時代の年代物のジョッキでいただく、サッポロ黒ラベル。大生(700円)をもらって、乾杯!
老舗酒場の味に寄り添う美味しい一杯です。
店先の観光客向けの品書きにも「煮込み」と「馬刺し」しか書かれていなかったとおり、主菜はこの2品のみ。そこにお手製のお新香が加わり、料理は以上。これで70年続いているのですから、読者の方もきっと興味をもっていただけるのではないでしょうか。
馬刺しは昔からの馬肉を食べる文化の延長にあるもの。
以前は荷馬を食べていたそうですが、現在は国産の食用に適した馬が使われています。ご覧になってお気づきのとおり、ここの馬肉は冷凍品ではありません。つややかでキメの細かい赤身が実に美しいです。
ニンニク、生姜を添えた醤油に軽くつけ、きゅうりと一緒に一口。しっとりしていて旨味がじんわりと広がります。
お酒は店名を冠した「新田川」。灘にご縁があってお店の定番として提供しているお酒とご主人。灘西宮の寳娘をつくる大澤本家酒造の特別な原酒で、加水が一切されていないきわめて20度に近いアルコール度数のある、どっしりとしたお酒です。
味の主張が強く、馬モツ煮込みと掛け合わせてより深みをました余韻になります。
外国人も、旅行で訪れる日本の方も大歓迎。富士吉田の飲み屋街を楽しんでいってね!と笑顔で送り出してくれるご主人。素敵なお店に出会えると、旅先の夜は一層特別なものになります。
ごちそうさま。
(取材・文・撮影/塩見 なゆ)
新田川
0555-22-3513
山梨県富士吉田市下吉田796
17:000~(不定休)
予算2,000円