神田『大衆割烹宿場』路地裏のいぶし銀酒場。魚と酒を愛する大人の隠れ家

神田は、私たち酒場好きにとって巨大な迷宮のような街です。再開発で新しいビルが増える一方、路地裏には昭和の空気をそのまま残した名店がひっそりと息づいています。今回訪ねた『大衆割烹宿場』もそのひとつ。昭和から神田の企業戦士たちを癒やし続けてきた、魚が旨い「大人の聖域」へご案内します。

地図アプリも迷うような路地裏の名店へ

JR神田駅から数分歩き、多町大通りの喧騒から一本外れた細い路地。さらに奥まった場所に『宿場』はあります。初めて訪れる人は、本当にこの道で合っているのか不安になるかもしれません。ですが、その先に揺れる暖簾と渋い袖看板を見つけた瞬間、これはいい店だと思うはず！見事に昭和の酒場の空気を継承しています。

暖簾をくぐると、そこには活気がありつつも、どこか落ち着いた時間が流れていました。1階は板場を臨むカウンター席とテーブル、小上がり。2階には宴会もできる座敷があります。迎えてくれるのは、個人店ならではの温かい笑顔。ベテランの店員さんが阿吽の呼吸で客を差配する様子は、見ていて心地が良いものです。

会社帰りのスーツ姿の男性客が多く、皆、慣れた様子で酒と肴を楽しんでいます。宴会が入っていても騒がしくない。理由はみんな飲み慣れているから。これが神田の老舗酒場のいいところです。

席につき、まずは「赤星」ことサッポロラガービール（大瓶）をお願いしました。年季の入った空間には、熱処理ビールのどっしりとした味わいがよく似合います。グラスに注ぎ、喉を潤す。仕事の疲れがすっと引いていく瞬間です。乾杯！

お通しとして運ばれてきたのは、魚のアラの甘煮でした。骨の周りの一番美味しい身が、甘辛い煮汁をまとって酒を誘います。これだけでビールが空いてしまいそうです。

ここにきたら、まずは刺身を楽しんでみてください。取材時は、しめ鯖とカンパチを選びました。

運ばれてきた皿を見て、思わず顔がほころびます。角がピンと立った切り身は、鮮度の良さと包丁の切れ味の証拠。豊洲市場から仕入れるという魚介は、銀座の高級店にも引けを取らない品質です。

しめ鯖の絶妙な締め加減、カンパチの脂の乗りと歯ごたえ。口の中に広がる旨味に、ビールから日本酒への切り替えを決意しました。

お酒は「沢の鶴」の生本醸造を。キリッとした飲み口が、刺身の脂をきれいに流してくれます。魚料理に寄り添う、飾らない酒。こういう組み合わせこそ、大衆割烹の醍醐味です。

箸休めには「小あじ南蛮漬」（600円）を注文しました。頭から丸ごと食べられる小あじは、骨まで柔らかく、南蛮酢の酸味が絶妙。酒飲みのツボを心得た一品です。

続いていただいたのは、評判の「鳥豆腐」（580円）。

大きなお椀にたっぷりと盛られて登場しました。透き通った出汁に、大きめの豆腐と鶏肉、そして春菊で味を引き締めています。

シンプルですが、身体の芯まで染み渡るような優しい味わいです。神田で働く人々は、こうして胃袋を温めて明日への活力を養ってきたのでしょう。良心的な価格設定にも、お店の心意気を感じます。

お酒をおかわりしましょう。「沢の鶴」の大徳利をお燗で。徳利から立ち上る湯気と香りが、卓上の雰囲気をさらに和ませます。

メインには「桜えびのかき揚げ」をお願いしました。サクサクとした軽い食感と共に、桜えびの芳ばしい香りが鼻に抜けます。天ぷら専門店のような見事な揚げ上がり。実はここ、メゴチといった江戸前の天ぷら種を扱うことでも知られており、揚げ物の技術も確かなのです。

熱々の天ぷらを頬張り、燗酒をちびり。周囲を見渡せば、同僚と語り合う人、ひとりで静かにグラスを傾ける人。それぞれの夜が、穏やかに更けていきます。

神田には、私がまだ会社員だったころは、こうした日常的に使える「大衆割烹」がたくさんありました。いまはずいぶんと減ってしまい寂しい限り。だからこそ、美味しい魚を実直に出し続けてくれる『宿場』は、酒場好きにとって本当に心強い存在です。

冬になれば、名物の白子鍋や蛤鍋を目当てに訪れる常連さんも多いのだとか。カウンターで大将の仕事を眺めながら、旬の味覚を待つ時間は何よりの贅沢ですね。

神田が通勤経路の方はぜひ訪ねてみて。一人飲みから二～三人の会食、宴会まで幅広く対応してくれます。