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荻窪出身の筆者にとって、駅の北口ロータリーにあった「鳥もと」は特別な存在です。
他の路線はステンレスの電車が軽快に走るのに、なぜか中央線は朱色をベタ塗りした重々しい国鉄電車がゴトゴトと都心を目指す。青梅街道を数珠つなぎで走る赤色の関東バスはまるでアリの行列のように荻窪駅前ロータリーに流れてくる。中央線の杉並の駅はすべて高架なのに、荻窪だけは地上に降りて、ルミネが覆いかぶさる。1980年代に駅前にタウンセブンができるも、いたるところに古い路地が薄暗く伸びて、それをぼんやり照らすすすで汚れた赤ちょうちんが昼から酔っぱらいを寄せている。
そんな1980年代の荻窪で育った私の記憶には、駅の階段脇にあったバラックの焼鳥屋があります。いまはなき鳥もと本店で、店の前に関東バスのバス停があることから、バス待ちの間にちょいと引っ掛けていく大人たちをたくさん見てきました。大人になったら、私もああなるのかな、漠然に思っていた場所。
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2009年(平成21年)8月29日、戦前から続いた駅前の提灯は、多くの荻窪人に惜しまれながら光を消しました。父親と、母親といっしょに食べたカウンターが、いまは更地なって、バス停からは新しくなった中央線の姿が見えるようになったときは、大切なものが消えてしまったようで正直に悲しかったです。酒場は、ただの店ではなく、そこに通った人々の人生の宝箱のようなもの。ここでみんな笑って、みんなで泣いたよね。
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鳥もとは、戦前は寿司屋だった聞いています。戦争で寿司屋が続けられず飯やとなって、1950年頃に焼鳥をだしたのが「焼鳥屋」のはじまり。アサヒのクリーム色のビールケースでつくったテーブルと座面がビニールでできた小さな丸いすに座って、体中いぶされながら食べた焼鳥は、食べ物としての美味しさではなく、「鳥もと」で食べているということそのものに魅力があったように思います。
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現在は北口から東へ少し進んだ飲み屋横丁「荻窪銀座」へ移転しました。あのごちゃごちゃな昭和の雰囲気はないけれど、荻窪の酒場史は脈々と受け継がれています。現在は4代目が社長で、社長の親族で店舗を預かる大将の伊與田さん兄弟が店の顔です。
アサヒ社との長きに渡るご縁から、ビールジョッキには伊與田さんご兄弟の似顔絵が入っています。
移転の前から現在の店が建つ土地は「鳥もと」が所有していて、そこにはまったカタチです。伊與田さんは荻窪銀座の会長を務めるなど、この界隈の顔でもある存在。いまでも荻窪駅前や荻窪銀座を掃除する姿は、20年来変わらぬお義母の朝の光景です。
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ビールは旧店舗時代からずっとアサヒ。アサヒビール取扱店のなかでも、とにかく”生樽も瓶もよく出る”お店として有名です。
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定番には旧店舗時代からの宝酒造や奥の松酒造がありますが、大将のお気に入り、豊盃で有名な三浦酒造のお酒もおすすめ。
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ドンと大きいアサヒの生ビールで乾杯!ジョッキの洗浄もよく、ガス圧もばっちり、文句なく美味しいスーパードライが飲めます。
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伊與田さんは、21年前に荻窪「鳥もと」に手伝いに来た人で、出身は実は北海道。魚介や農産物の配送をする”トラック野郎”だった人で、その後職を転々としていて、荻窪の店で働くことになったそうです。パンチパーマでだみ声の大将は、日本一人相が悪い居酒屋店主だなんて言われていますが、本当はとっても優しく、そして店の歴史をつなぐ情熱をあわせ持つ方。
先代の頃の「毎日通える安い店」の残しつつ、駅前ではなくなったことを補うために北海道出身のツテで道内の珍しい食材を仕入れ、それを扱う北海道酒場的な店でもあります。
焼鳥屋が変わっちゃった…、ではなく荻窪の看板店舗を守るために進化したというのが正しい認識でしょう。
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ホッケの刺身や八角、おひょう、ソイ刺身などが大衆焼鳥酒場の価格帯の中でお財布に優しく食べられます。
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店の歴史と、大将の人生が織りなしてできたメニューをみると、この一皿だけでも考え深いものがあります。北海道のアンテナショップよりも北海道らしく、道内の市場の隅っこの食堂で食べているような気分になるのは、昔を知るだけに今でも不思議ですが、それ以上に美味しいのだから素晴らしい。鮭児が食べられる酒場は杉並区内ではここしか知りません。
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豊盃は種類が多く、何を飲んでいるかがわからなくならないようにと大将考案の名札が首からかかります。
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ヤナギダコの卵巣を食べる「たこまんま」は、特におすすめの一品。これだけで日本酒は二合はいける最高の肴です。
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もちろん、65年間にわたり荻窪の焼鳥といえばココと言われ続けた歴史ある串も健在。1本120円からで、味は昔と変わりません。店内に充満する煙がなくなったのは寂しいけれど、これならば服装を気にせず食べられますし、なにより続いてくれていることに感謝。独特なサラっとしながらも甘いタレが記憶どおりの味なんです。
杉並区内は「やきとん」を「やきとり」としているお店が多いですが、ここは鳥がメイン。豚のもつ焼き串もタン・カシラ・シロなどを揃えています。
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長く続く酒場ならではの仕入力を実感できる希少部位。普段は品書きにはいっていない珍しいものが食べられるかも?
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パンチパーマにだみ声がトレードマークの大将・伊與田康博さん。出身は北海道だけれど、心はすっかり荻窪人。今日も荻窪の街に元気なダミ声が響いています。
昔の名残と、大将が作り出す新たな歴史のひとときに浸るべく、荻窪で途中下車されてみてはいかがでしょう。きっと楽しい時間になりますよ。
ごちそうさま。
(取材・文・撮影/塩見 なゆ)
鳥もと 本店
03-3392-0865
東京都杉並区上荻1-4-3
13:00~24:00(日祝は12:00~・無休)
予算2,200円