1884年(明治17年)創業の、東京を代表する蕎麦の銘店「神田まつや」。名だたる文人墨客が愛したことでも有名です。とくに池波正太郎が常連だったことは著書にも登場することからも知られています。
建物は大正時代、関東大震災のあとに建て替えた商家造りで、戦火を免れて現在も当時の佇まいを保っています。神田須田町という住所になりますが、昔の呼び方で「連雀町」というほうが店の雰囲気にあっています。左右の入り口の上には松模様の欄間飾りがあり、雰囲気がとてもいい。
淡路町や小川町駅が最寄りですが、御茶ノ水駅から駿河台を下って散歩をしながら「そばで一献」を目指してやってくるのが好きです。白い暖簾をくぐり、磨かれたガラス戸から軽く店内を覗いて、「よし、座れる」と確認し扉を引く。これがたまらない瞬間です。
東京の老舗有名店のなかでも「神田まつや」は大衆的なお店で、街の一般的な蕎麦屋の延長線にあるように思います。日常にある美味しい店、それがまつやの魅力です。
品書きも130年続く老舗とは思えないほど庶民的な内容と価格です。神保町勤めの編集者だった父が私と同い年の頃に通った店でもあり、昔からだれもが普段から使える手軽なお店だったようです。
天井が高く照明が優しく照らす店内は、まるで夢の世界のよう。飴色の眺めにビールが栄えます。ビールは瓶のみで、大・中・小が選べ、銘柄もアサヒスーパードライ、キリンラガー(CL)、サッポロラガーの3種類から選べます。
ところで、キリンビールの創業は1885年なのですが、なんと「神田まつや」のほうが一年先輩なんです。変わらぬ商売でそれだけ続けるというのは本当に凄いことです。100年以上ここの風景にあるキリンと神田まつやの歴史に敬意を表して、乾杯!
北海道・長野・福島などの国内の産地から選ぶ蕎麦を“挽きぐるみ”した蕎麦粉を使い、玉子と小麦粉をつなぎにした江戸前の味が楽しめるのですが、呑兵衛はおつまみにも注目していただきたい。
にしんの棒煮をつまみつつ、東京都歴史的建造物にも選定された建物を味わいビールを飲む。にしんは甘く深い味で、箸をあてるとすっと身離れするほろほろの状態です。
かねてより蕎麦屋の焼鳥は美味しいと話していますが、「神田まつや」の焼鳥は格別に美味。とろみのある甘いタレは、もちろん「返し」が味の基礎を築いています。「あかね鶏」に東京らしいみりんをしっかり使った味付けが絶妙なバランスです。
余談ながら、せいろなどの冷たい蕎麦は鰹出汁で、温蕎麦は鯖出汁と使い分けています。
まつやの醍醐味は、やはり昼酒にあります。暖簾をしまうのが早いお店なので、ゆっくり飲むとなると必然的に日中なのですが、心をほぐすお昼の一献はやみつきになる快感があります。焼き海苔にわさびを添えてちょいと食べる。こうなるとビールから日本酒へ移行かな。灘の銘酒・菊正宗特選のみを取り扱い、とくにぬる燗の味わいがしっくりきます。
神田まつやでとびきり憧れる料理がこちら、品書きにはどこにも載っていない玉子焼(650円)。老舗の裏メニューというもの。
要予約、職人さんがつきっきりで20分がかりで焼き上げるきめ細かくみるからに上等な逸品。
しっとりとした食感が口の中で優しく溶けていきます。上品な甘さに誰もがうっとりするものです。外側はかりっと、内側はスフレのよう。小判型の焼型は神田まつやの特注です。
天ぷら蕎麦から蕎麦を抜いた「天抜き」は、ベテラン呑兵衛御用達の一品。これぞ究極の液体おつまみ。これぞ東京の伝統。こまかな衣をまった大海老がほどよくふやけて、そばつゆにとろけていく。
ぬきをつまみに、キクマサをきゅっと飲んで幸せと感じられるようになったのはいつからかな。寒くなってきたので、鴨ぬきもおすすめしたい。
相席ごめんの賑わいある「神田まつや」ですが、席に座ると不思議と店に馴染めて椅子に根を生やしてしまう。それは、お姉さんたちの絶妙な接客がなせるものだと思います。
1965年生まれの6代目、神田まつやの暖簾を守り未来へ繋いでいく小高孝之氏。お店の雰囲気は店主から、ということをまさに感じられる「歴史を守り、日常の蕎麦を愛してほしい」という想いをもった方です。
変わり続ける東京の中で、変わらないお店がある。それが老舗の銘店です。新しいものを追いかけるのもよいですが、心の中には江戸の粋を持ち続けていきたいですね。
明日は連雀町で一献、いかがですか。
ごちそうさま。
(取材・文・撮影/塩見 なゆ 取材協力/キリンビールマーケティング株式会社)
神田まつや
03-3251-1556
東京都千代田区神田須田町1-13
11:00~20:00(土祝は19:00まで・日定休)
予算2,500円