サッポロビール博物館-この夏は赤星が生まれた北海道へ行こう!

サッポロビール博物館-この夏は赤星が生まれた北海道へ行こう!

2016年7月1日

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ついにやってきました!北海道。

これだけ酒場を通じて一杯目のビールを発信しているにも関わらず、サッポロビール発祥の地を取材していなかったのは遅すぎた気もしますが、いやいや、今だからいいんです。なんといっても、サッポロビールは今年140周年を迎えます。あわせて、サッポロビール博物館も今年4月にリニューアルしたということもあり、この夏こそ行くべきという時期なのです。

日本で唯一のビールの博物館であるサッポロビール博物館は、札幌駅からバスで数分のサッポロガーデンパーク内にあります。明治22年に建てられた赤レンガの建物を今も使い続けています。もともとこの建物は明治35年から札幌麦酒を製造する製麦工場として昭和40年まで使われていたもの。その後、博物館に転用され、さらに今年リニューアルされたというわけです。詳しい話はのちほど、しっかりと見ていくとして、さぁ、入館しましょう。ずっと楽しみにしていただけに、筆者もワクワクが止まりません。

入るとツアー・ビール園の受付があり、サッポロギャラリーを見ていくだけならば無料なのですが、ここはぜひプレミアムツアーに参加して欲しい。500円とリーズナブルながら、魅力いっぱいの内容で、さらにプレミアムツアー参加者しか飲むことが出来ない復刻札幌製麦酒とサッポロ黒ラベルが1杯ずつ試飲でついてきます。サッポロブランドの発信基地とはいえ、500円とは思えない内容の濃さとビールが2杯つくなんて太っ腹です。

 

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今回は取材ということで特別な場所に案内いただきました。通常の見学コースにはない最上フロアの来賓室へ。北辰旗が飾られたその空間は、まさに北海道の歴史、サッポロビール140年の原点という風格が漂います。

明治天皇が視察に訪れた際に座られた椅子がいまも保存されています。明治天皇が初めて飲んだ国産ビールは札幌で、しかも「重ねての所望を賜る」とおかわりされたというエピソードが残されています。それは、今から139年と数日前、明治10年6月27日のこと。

もともと製麦工場ということで、天井が高くてっぺんが煙突のようになった場所で、建物の頂点にこの部屋があります。

 

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そんな特別な空間に案内してくださったお二人。サッポロビール株式会社 サッポロビール博物館館長 兼 北海道本社 副代表の住吉徳文さん(左)と、サッポロビール博物館副館長 兼 北海道戦略営業部 副部長の安藤達也さん(右)。住吉さんは、実は恵比寿麦酒記念館からリニューアルされたヱビスビール記念館としての初代館長で、さらに、この春リニューアル後のサッポロビール博物館に就任されたという、同社の歴史を守る神主さんのような方。安藤さんは2012年から同職に就かれている北海道から日本中にサッポロの魅力を広めている方です。

 

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そんなお二人にアテンドいただきながら、サッポロビール博物館のプレミアムツアーの流れをみていきましょう。館長と副館長の案内、なんと贅沢!

ここは、ツアー開始前の3Fウェイティングラウンジ。時間になるとツアーコース最初のプレミアムシアターへと案内が始まります。

 

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6Kのワイドシアターでツアーが始まります。超ワイドで高精細、迫力満点の映像美に映し出される五稜星。

 

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北海道開拓使の歴史、様々な近代産業施設の建設のなかで、日本人初の麦酒醸造所が登場する物語がわかりやすく感動のストーリーで紹介。

 

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サッポロビールの星マークは、北海道開拓使のシンボルから。そして、いま私たちが酒場で飲んでいる赤星も、ここから始まりました。

 

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今から140年前の明治9年、北海道に開拓使麦酒醸造所が竣工。同社のイベントなどでよく見かける写真は、中央(政府・開拓使)へ「札幌でちゃんと仕事していますよ」というプレゼン用の写真だったという裏話があります。

 

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鹿児島出身、薩摩藩の武士でロンドン大学に入学、帰国後は開拓使に就き、北海道に醸造所をつくらせた村橋久成(左)。そして、ビール醸造技師第1号である中川清兵衛(右)。この二人が札幌をビールの街にしたキーマン。

 

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その後、北海道生まれのサッポロビールは東京へ。

 

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ビールの質の良さはお雇い外国人にも人気で、札幌の近代産業のレベルを世界へと広めました。欧米にまけない美味しいビールを作ろうとした先人たちの物語は、サッポロビールファンでなくとも誰もが感動するはず。最後に驚きの仕掛けがあるのですが、それは実際に見てからのお楽しみ。

 

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シアターのつぎは通常の見学コースとなりますが、吹き抜けの空間に巨大な煮沸釜が目をひきます。これは2003年まで実際に札幌で稼働していた工場で使用されていたものです。

全高約10メートル、容量85キロリットル、これでもものすごく巨大に見えますが、現役・最新設備の千葉工場の同様の設備はさらに巨大。一生かけてもとても飲みきれない(笑)

 

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映像にあった内容をより詳しく、様々な記録を元に見ていくことができるのですが、これをじっくり見ていくとかなりのボリュームです。どの展示もサッポロビールの歴史を語る上ではずせない大切な出来事が紹介されているので、ぜひとも札幌へは飲みに行くだけでなく勉強もしたい。

 

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『麦とホップを製すればビイルとゆふ酒になる』、開業時の宣伝文が樽に書かれています。北海道は大麦の栽培に適した気候で、豊平川の伏流水が豊富だった、さらになんとホップが自生していたというのだから、札幌という場所は宣伝文の通り、「麦」と「ホップ」の地なんですね。

 

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館内には随所にビール醸造に関する設備や資料が展示されています。これはろ過してビールを絞りとるフィルター。一枚一枚に濾過幕があり、もちろん使い続けると詰まってしまうので、その度に清掃してとなかなか大変だったようです。

 

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現在のサッポロビール博物館が札幌工場の製麦所として現役だった時代の復元模型。

 

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レンガは補修を繰り返しながらも、いまも当時のものを維持しています。近代建築の文化遺産としても大変興味深い。

 

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昭和まで現役の工場だったので、昔はこんな巨大な製麦設備が並んでいたそうです。

 

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現在その場所はサッポロビール園として、できたて生ビールを飲みながらジンギスカンを楽しめます。

 

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札幌でつくられたビールは、ビールの安定性の問題や輸送時間の関係、されには提供時の冷たさも求められるので氷付きで冷蔵輸送されていたそうです。

 

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その氷は輸入もののボストン氷では高価だったため、なんと函館・五稜郭の外壕で天然氷を切り出されていたました。五稜郭の氷、ここにもまた星が絡んでいますね。

 

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札幌ビールの発売の三ヶ月前、東京や京都の政府高官に献上された際、コルクで栓をしていましたが吹きこぼれてしまい、大失態になったという話。この時代の失態はさぞかし恐ろしや。ビールは醸造技術だけでなく、瓶や栓、輸送も含めての大改革が必要でした。

 

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そんな様々な苦労の結果、ついに美味しいビールが完成!東京から上手いと評判になります。

 

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そのビールが、この札幌麦酒[赤星]です。日本人最古のビールというだけあって、その歴史は相当な試行錯誤がありましたが、それが140年近くたった今、私たちの日常にあるというのは素敵な話です。

 

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今年、赤星は139歳。様々なデザインになりましたが、変わることのない赤い五稜星は北海道初・なにより日本人初のビールとしての誇りを表しています。

 

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中川清兵衛が日本人最初のビール醸造技術者。その後、二代目は中川とともにドイツの醸造場で修行したマックス・ポールマンが熱処理の技術を持込み、三代目の金井嘉五郎はその後のサッポロビールの醸造技術を継承していく道をつくりました。

 

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開拓使は国の機関で、開拓使麦酒醸造所は国営の工場でしたが、その後民間に払い下げられられます。

 

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払い下げの条件が書かれた「命令書」が今も保管されていて、その内容も紹介されています。そこには「北海道の大麦を可能な限り使うこと」と書かれていて、それは100年以上経過した今でもサッポロビールの約束として守られ続け、北海道でつくられるすべての大麦と、さらにはホップもサッポロビールにて使用されています。

サッポロビールという社名は、ただ昔の名残というわけではなく、こうして北海道の今にもつながっているんですね。

 

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その後、ビールの需要が高まり、札幌ビールは業界初の2工場体制をとることに。そうして東京に作られた工場が東京都墨田区吾妻橋、隅田川の辺りできた東京工場でした。それとともに販路も広がり札幌ビールの製造量は業界トップに。

 

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同時期に恵比寿麦酒をつくっていた日本麦酒と大阪麦酒(現在のアサヒビール)、そして札幌ビールが合併し、1906年に大日本麦酒となります。キリンビールを除く大手3社がひとつになったことでシェアは7割に。当時の銘柄がずらりと紹介されています。

 

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ヱビスビール、サッポロビール、アサヒビール。先ほど紹介した札幌ビール東京工場が吾妻橋にあると紹介しましたが、ここでアサヒが合わさったことで、後の分社化に際してアサヒビールの所有となったという歴史があります。

 

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ミュンヘン、サッポロ、ミルウォーキー、三大名産地というポスター。北緯45度で一緒だったんですね。

 

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大日本麦酒は財閥解体のあおりをうけアサヒビールが切り離され、日本麦酒となり、赤星も一時期は日本麦酒という名で販売されていましたが、消費者から「サッポロビール」の名前を懐かしむ声が多く、ついに昭和31年、全国の麦酒でサッポロビールの名前が復活しました。

 

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サッポロという名称の復活だけでなく、サッポロはそれ以降も、瓶生という商品をファンが「黒ラベル」と愛称をつけていたことから公式でも「黒ラベル」と名前を変更しています。最近ではサッポロラガーの「赤星」もすっかり公式の呼び名となるなど、ファンとともに歩むメーカーの色が強い。

 

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大日本麦酒時代から現在までのポスターの歴史。初代の頃に描かれている着物のお姉さん。実は、その後のセクシーなドレス姿のお姉さんのポスターが誕生していますが、実は初代のお姉さんの娘さんなのだそう。豆知識!

 

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旨いジョッキで馬とジョッキー。時代を感じる不思議なセンス。

 

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戦後の復興とともに麦酒のポスターも派手になっていきます。男は黙ってサッポロビールの有名なフレーズがありますが、この当時はまだ黒ラベルは登場していなくて、サッポロラガーの時代。

 

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はじめてサッポロの瓶生(のちの黒ラベル)が登場。

 

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黒ラベル登場後のポスターは、一貫して「大人」がキーワード。いまの妻夫木聡さんが出演するサッポロビールの宣伝も「大人エレベーター」です。

 

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変わっていることを気づかせない、でもなんか進化している気がする。そんな絶妙なところを狙ってデザイン変更をしているという裏話。こうして並ぶとよくわかりますね。最新のデザインは「黒ラベル」の文字が強調されたもので、「サッポロ生ビール黒ラベル」から「黒ラベル」へ名称統一が進んでいます。

 

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サッポロビールのラベルの歴史。赤星は90年代から変わらず。皆さんはどのデザインからサッポロを飲み始めました?私は2004年の「DRAFT BEER」の文字が残ってい時代から。赤星はやっぱり大先輩ですね。

 

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他にもまだまだサッポロの話は続くのですが、あとは読者の皆さん自身でサッポロビール博物館に直接足を運んでいただいてからのお楽しみ。さあ、最後は最古の麦酒と最新のビールを飲み比べましょう。テイスティングは一階のスターホールにて。

 

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プレミアムツアー限定でテイスティングができる復刻札幌製麦酒は、本当にここだけの味。サッポロのビール園限定銘柄の開拓使麦酒とも違う、当時の味・製法を極力再現した麦酒です。それと比較するのは最新の黒ラベル。味は、しっかり深みがあり、やや荒い厚みのある復刻版。黒ラベルがいかに進化したか、140年の味の差をこの2杯から感じられます。

 

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館長、今日はありがとうございました。これからも素敵な麦酒を楽しみにしています!

 

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今も昔も、変わらぬ景色がここに。サッポロ140年の歴史は赤星139年の歴史でもあります。東京に帰ったら、改めて赤星のある酒場で飲みたくなりました。

皆さんもサッポロ140年の歴史を学びに、そして味わいに北海道・札幌へ旅にでてみてはいかがでしょう。きっと、もっともっとビールが好きになるはず。そして、帰ってきたら酒場で赤星を飲みたくなるはず。いつの夏より、いつものビールがちょっとだけ違って感じる喜びを。

人生に寄り添うビール。それがナショナルビールです。

 

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(取材・文・撮影/塩見 なゆ 取材協力/サッポロビール株式会社)

 


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