品川『もつ焼きマーちゃん』街は変わっても酒場は変わらない

品川『もつ焼きマーちゃん』街は変わっても酒場は変わらない

2014年9月3日
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品川の港南口といえば、昔は新幹線の車庫と貨物列車の操車場、その奥はソニーのウォークマン工場があって、となりは下水処理施設。
山手線のホームから天上の低い地下通路を抜けていくと、そこにはまるでローカル線のような佇まいの駅舎があり、殺風景な広場が広がっていました。

品川をターミナルとして持つ京急電鉄と西武グループの鉄道系資本によって戦後またたくまに東京の副都心的な表情を持った高輪口とは大違い。そもそも、高輪口は戦後GHQによって一般人となった宮家の土地を、西武鉄道の創始者”堤康次郎”が買い取ったのが始まりで、当時の西武の力を考えれば品川の発展ぶりは当たり前かもしれません。

国鉄を挟んだ反対側はというと、埋立地だったこともあり、電電公社や国鉄などの国有現業機関が多く土地を占めていて、彼が飲みに行く繁華街としての顔しか持っていなかったのが港南口と考えれば当たり前かもしれません。

その後、御殿山で創業したソニーが、本社から近くて安い土地を求め、港南口に大きな工場をつくりました。ウォークマンを製造していたことで有名ですが、製造を次第と海外に移し、いまはその空いた土地に大きな本社ビルが建っています。

電電公社の土地は、いまはNTTデータ・NTT東日本・NTTドコモの大きなオフィスビルが建ち、昔は線路ばかりだった場所は、国鉄の負債を埋めるべく土地が売却され、いまはオフィス街のインターシティーや三菱重工の本社もここにできました。

さて、余談が長引きましたが、ここからが酒場のお話。
新幹線まで停車し、来年は上野東京ラインが開通し、近い将来はリニア新幹線の始発駅ともなる品川駅ですが、いまだに”あのころ”の飲み屋街はひっそりと残っています。

広場から伸びる道から、幅1mあるかないかの路地を曲がって行くと、そこは新宿の思い出横丁も顔負けな迷路のような飲み屋街が今も残っています。
ここで中心的存在のお店がもつ焼きの「マーちゃん」です。

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ここはいまだ平成になっていません。とにかく、すべてが昭和の雰囲気です。もちろん、アミューズメント施設のような作られた昭和ではなく、カウンターやテーブルから厨房機器に至るまで、すべてが年季もの。唯一、新しいのは働く従業員さんくらい。

一見怖そうだけどとても丁寧な大将と、それを支える若い店員さんでまわっています。お店はさほど大きくありませんが、店員さんが多いので、待たされることがないのが嬉しいです。

瓶ビールはサッポロ。やっぱり赤星が似合いますね♪

すぐ出るポテトサラダはツナがたっぷりはいった豪華版で、胡椒味がビールと相性抜群。

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焼鳥は消費税に合わせて120円に値上がりしましたが、平均的に割り高なお店の多い港南口において、この価格は貴重。
シロなどの定番は1本単位で注文を聞いてくれますので、一人で飲みに行ってもあれこれ食べられます。

もつ焼きは、新橋の王将と同じような玉ねぎが挟まれたねぎま風。そういえば、品川に近い老舗はこのスタイルが多いです。芝浦と場との関係を調べてみたくなりません?(そんなマニアじゃない?・笑)

タレは甘めでとろっとしたみたらしタイプ。好き切らいがわかれそうですが、一緒につけてくれる辛子味噌が味に変化を与えて、こちらは誰もが好きな味。

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カウンターで一人、会津ほまれのコップ酒を傾けながら、ガツ酢や厚揚げ焼きを食べる紳士もいれば、職場の仲間とテーブル囲んでわいわいと盛り上がるグループの姿も。

そのどちらも、ちょっとオシャレなワイシャツにセンターラインがビシっと決まっている良い生地のスラックスという格好。こんなところに港南口の街の変化を感じる気がします。街が変われば客層も変わる、やっぱり酒場は街を写す鏡なんだと感じずにはいられません。

ダイヤ焼酎の酎ハイ(320円)に切り替えて、さぁのんびり酔いを進めましょうか。

ごちそうさま。

(取材・文・撮影/塩見なゆ)

もつ焼きマーちゃん
03-3471-5027
東京都港区港南2-2-2
営業時間17:30~23:00
定休日 土・日・祝日