秩父「パリー食堂」 織物産業と石炭、かつての栄光を今に伝える

秩父「パリー食堂」 織物産業と石炭、かつての栄光を今に伝える

池袋から西武特急レッドアロー号で90分。秩父は日帰り旅行にちょうどよい距離です。

今年から土日祝日限定で、東急東横線・みなとみらい線から西武秩父までを直通するS-TRAINという列車も走り出し、横浜からも乗り換えなしで遊びに行けるようになりました。また、西武秩父駅も大幅にリニューアルされ、駅に併設する温泉施設「祭の湯」も4月24日にオープン。

秩父は大正・昭和に繁栄した産業都市の面影が今も残り、駅周辺には見学ができる酒蔵もあるなど、街歩きも楽しい地域です。ちょいと西武に乗って旅にでてみてはいかがでしょう。

 

西武池袋線の始発駅・池袋。日常的に利用している駅でも、旅にでると思うと見える景色が違います。売店で缶ビールを購入し、通勤電車を横目に特急に乗り込んだなら、気分はもう秩父。

 

ベッドタウンの練馬、所沢、入間を過ぎ、飯能をこえると、車窓は里山にかわります。吾野渓谷を高麗川沿いに進み、正丸峠の長いトンネルを抜けると秩父盆地へと入ります。

 

特急専用ホームもリニューアルされてきれいになった西武秩父駅。

 

西武秩父駅の開業は1969年と比較的新しく、現駅舎も開業当時からのものが使用されています。関東の駅百選に選ばれており、ハイキングや温泉巡りの起点らしい佇まい。駅に併設されていた商業施設・西武秩父仲見世通りはバブルの頃につくられたもので、いかにも昔の西武系の施設といった印象でしたが、これが大幅リニューアル。

 

フードコートと宿泊もできる温泉施設を含む西武秩父温泉・祭の湯に生まれ変わり、施設内では地元・秩父の名物である秩父蕎麦やわらじかつ、ホルモン焼きなどが楽しめます。武甲正宗、秩父錦、秩父菊水といった地酒が飲める角打ちも誕生しました。

 

とはいえ、せっかく来たのですから街歩きをしなくては。秩父は織物と石炭で栄えた街。秩父のセメントは昨今、縮小傾向にありますが、かつての栄光をいまに伝える建物が街のいたるところに残されています。

大正・昭和初期に建てられたレトロでロマンあふれる看板建築が立ち並び、生きた博物館といってもよさそう。

 

1927年(昭和2年)にカフェーとして建てられた「カフェ・パリー」は文化庁指定の登録有形文化財となっています。

 

木造2階建てでありながら、外観は3階建ての近代洋風のつくりで、装飾も美しく、かつての秩父の賑わいを感じるには十分な店舗です。

 

もちろん現在も営業中で、年配ながら元気のよい優しいご夫婦がパリーの暖簾を守っています。もちろん、カフェー(当時における意味として)ではなく、街に根付いた食堂として営業しており、昼間からお酒を飲んでいる地元のご隠居さんも多い。

 

特長的な文字の形状。実に味わいがあります。

 

窓から差し込めるお昼間の日差しに照らされて、90年間現役の建物はくたびれつつも「まだ働ける」と言っているかのよう。

 

お酒は3種類、ビール、日本酒、焼酎。おつまみは全般的に中華寄りですが、これはご主人の修行に関係があります。もちろん、古典的な昭和洋食が看板料理です。

 

秩父はソースかつ丼がご当地グルメとして知られていますが、いまのようにPRする以前から食堂では定番だったと聞きます。やはりソースかつ丼やオムライスを食べる人が多いそうですが、ノンベエたるもの、炭水化物は置いておき、プレートでビールといきたい。

ところで、カツライスという響きが気になりませんか。

 

店の看板はアサヒとなっていますが、ビールはサッポロの大びんのみ。昭和なS★PPROビヤタンが現役です。では乾杯!

 

厨房はご主人の仕事。注文を伝えてから10分ほどでエビフライが完成。この時代の食堂によくある厨房が完全に見えないスタイルですが、仕事はとても丁寧です。いちごが添えられているのがちょっぴりうれしい。茄子の素揚げとポテトサラタがおまけでついてきて、この一皿で完結できてしまいます。

 

湯呑みから丼ぶり、洋食皿にいたるまで、すべて「パリー」の文字が入っています。だいぶ年季がはいっていますが、食器ひとつとっても往時の繁盛ぶりが伺えます。

 

東京から私鉄で一本の場所にありながら、まるで昭和にタイムスリップしたような街並みに出会える秩父。歴史を肴に一献いかがでしょうか。

ごちそうさま。

 

(取材・文・撮影/塩見 なゆ)

 

パリー食堂
0494-22-0422
埼玉県秩父市番場町19-8
昼営業(不定休)
予算1,600円